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吉村流の歴史
吉村流は、御狂言師とよばれた禁裏(京都御所)の舞指南、山ノ内ふくを流祖とし、京都に興り、洗練された格調高い振付けで名声を博したが、初世吉村ふじは明治時代に大阪に転じ、南地の芦辺踊りなどで活躍した。
二世吉村ゆう、三世吉村雄光は古格の型物を守りつつ、艶冶な舞にも秀でた。終戦後、四世吉村雄輝が、新派の名女形花柳章太郎師の招きにより東京に進出し、これを機に上方舞という呼称を用いるようになったとされる。

三世 吉村雄光

四世吉村雄輝は復曲のみならず、新作を精力的に発表、舞台芸術としての上方舞を全国に拡めることに尽力し、数々の賞に輝いた。

四世 吉村雄輝

吉村流は、能の仕舞の技法を基礎に、謡、壬生狂言、人形浄瑠璃などの要素も取り入れ、優艶かつ硬質な振付けと緊密な構成を特徴として発展してきた。


四世吉村雄輝の下で長らく内弟子として住込み修業した現六世家元 吉村輝章により、舞の一挙手一投足、呼吸や目線に至るまで厳格に伝承が守られている。